中学生の頃、
「空海 真言宗 高野山金剛峰寺、最澄 天台宗 比叡山延暦寺」
と習いましたよね?
暗記科目だった社会、実際どんなことが起こったか知ってますか?
僕は文字通りのことしか知らず、そしてそれに疑問も持たなかった。
ふと思い出したはるか昔(?)に習ったこのフレーズが頭をよぎりました。
空海ってそんなすごい人?
高野山ってどこだ?名前かっこいいけど。
金剛峰寺ってどんな場所?最初は「ぶ」が読めなかったよ。
そんな軽い気持ちで、高野山へ行ってみました。
天気は最悪、ずっと雨で、挙句に台風が真上を通っていく始末(苦笑)。
ひとりの人の感情の動きが、数え切れないほどの人に共鳴し、
その波動が徐々に日本中に広がり、やがて日本中を席巻する。
日本のどこかでぽっと沸いたたったひとつの感情が、
こうやって日本中を巻き込むムーブメントとなることでようやく教科書の1行となり、
そのおびただしい1行が重なり合ってあの教科書一冊になるんだよね。
その微かな1行になるために、
一体どれだけの血と汗(大げさかもしれないけれど)が流れたのだろうと...。
なんて考えながら雨の奈良へ。
空海は、774年 讃岐国で誕生する。幼名を真魚(まお)という。
大学にも通ったけど、勉学に飽き足らず19歳で修行の道へ進みました。
相当優秀。おそらく地元では天才と言われていたのかも...。
四国八十八霊場も空海が修行を行ったことから今日まで受け継がれているようです。
そして、31歳で唐へ渡った。
運命的だと思ったのは、同じ船団に最澄もいたこと。
そして、荒天により船団のほとんどが難破してしまったのに、
空海と最澄の船はからくも大陸にたどり着いたこと。
(最澄の方が8歳くらい先輩だったようです)
空海が唐で出会った真言密教が、高野山の礎。
高野山 金剛峰寺...と言われていますが、
ここには無数の寺院があり、まさに「高野山全体」が信仰の場所なのだ。
写真の大塔には大日如来像(神様中の神様)が安置されていて、
日光如来・月光如来を左右に従えている。
ここがすごい。本当に神々しい。
その薄く開いた切れ長の目を見ていると、
心の芯まで見透かされる感じがする。
「ちゃんとみてるからな」って言われてる。
本殿の中は決してきらびやかでない、でも荘厳な佇まい。
数々の屏風絵に空海が辿ってきた道のりが描かれていて、
ひとつひとつに見入ってしまう。
おもしろいな...というか当たり前なんだけど、本殿には食堂がある。
そして料理場もある。大きな釜が3つもあり、
3つとも炊くと2000千人分のご飯が炊けたらしい。
当時数千人の僧が真言密教を信じ、この地へ入り修行をしていたのだから、
当然と言えば当然なんだけど、普通の寺社では決して触れられない、
「僧の生活」が垣間見れたことがとてもおもしろい。
修行とは、この地での生活そのものなんだと思う。
世俗から離れることで、独自信仰の道を歩んだ高野山は、
いつしか一大勢力となり、その強大となった勢力は世俗から恐れられてしまい、
世俗から離れたいのに逆にちょっかいを出されてしまう。
織田信長や豊臣秀吉が高野山を服従させようとしたことにも納得。。
織田信長が本能寺の変で倒れなければ、
今の高野山は別な形になっていたのかもしれない...。
空海はこの地でご入定(ごにゅうじょう)する。
高野山には、少し離れた場所に奥の院という、
弘法大師廟がある。
廟までの道のりには20万もの墓がある。
戦国武将や偉人、現代の偉大な企業創立者の名もある。
この道の空気感は、これまで感じたことのないほど神々しい。
雨なのに、そしてなぜかお腹が痛いのに(笑)。
この先に佇む弘法大師廟ももちろん神々しいのだけど、
どちらかというとほっとするような静かな気持ちになったのとは逆に、
この参道は、心が揺れて揺れて落ち着かない。
おびただしい数の墓標は弘法大師を守ってる。
この参道には、心が揺れるほど無数の魂が漂っているような気がした。
そしてその魂は、決して安泰な最後を迎えたものではなく、
むしろ、世情に翻弄され志半ばにしてこの世を断たれた魂が多い。
特に目が向いたのが戦国の猛将の墓標だったからかな...。
奥の院の駐車場に、高野山のPRポスターがあって、
冬の参道の写真が写っている。これがまたすごいイイんだ!!
かすかな空気の揺れる音すら聞こえないだろう「静寂」がそこにはあった。
冬に来るとまた全然違うんだろうなぁ。
車じゃ標高900mのあの山道は厳しいかもね。
また絶対にこなくてはいけない場所だと思った。
紀伊半島は、お伊勢さんに春日大社、東大寺や法隆寺、そして高野山...
数を並べたらキリがないけど、日本の信仰の原点なんだと思う。
こうなると、空海と一緒に唐へ渡り、
悟りを開いた最澄が気になり始めた。
比叡山延暦寺。
いつ行けるかな。
〜〜〜
「如来」と「菩薩」の違いってわかりますか?
細かいことは難しすぎてわからないけど、
奈良大仏みたいに、頭がパンチパーマ(螺髪というらしい)もので、
身なりはいたって質素な佇まいで、眉間に点(白毫というらしい)があって、
指が華麗に印を結んでいるもの。
これは如来像で、悟りを開いたまさに「神様」です。
菩薩像は、王冠や着衣など、豪華な装飾品をまとったり、物を持っていたりと、
派手(?)な出で立ちで佇んでいます。
まだ悟る前の修行の身です(来世で如来になることが約束されている...らしいです)。
〜〜〜